2011年4月1日

大阪時代(二五)

イヤイヤ背広姿だからと言って、サラリーマンとは限らない訳だけど、どう見てもサラリーマン風だった。会社に行って皆に話すと、「世間には、色々な奴が居るんやから、あんまり調子に乗ったらアカンでー。けど、死なんで良かったやないか。死なれたら香典かなわんさかいなあ。」だと!!貧しさは人間を小さく、小さくしますなあ。−閑話休憩―

「瀬戸内国際芸術祭アート作品を観る2」


てな訳で、職工暮しも三年目の時に、ある日会社の副社長位の人から呼ばれて、悪い事もしてないのにドキドキ胸騒ぎ。何だろうと思って出向くと、「君、営業部に興味あるか?」と聞かれ、十七、八の小生。「エ!?凄い!!コレは凄い!!出世や!出世や!スーツや。職工服はサヨナラやー!!」と腹の中で大喝采!「どう云う事ですか?」
すると「実はな、名古屋の営業所で一人欲しがっとるんやが、君は普段からオモロイし、真面目に勤めてくれてるしなあ。どや、ひとつ営業マンで頑張ってみんか?」
「アノ…その僕なんかに勤まるでしょうか?」
「そんなモン大丈夫や!」
「しかし僕は中卒で学歴もないし、頭悪いし。」
「君なあ、学歴なんか全然関係ないやろ。要はやる気があるかないかの問題やろ?」
心の臓がドクドクいってたなあ!

石倉三郎