壺井栄文学館

●開館時間/午前9時〜午後5時まで(入館受付4時30分まで)
●休館日/なし
香川県小豆郡小豆島町田浦甲936番地
二十四の瞳映画村(内) 〒761-4424
TEL.0879-82-5624 FAX.0879-82-3090
 

主な展示品

文学館には、栄の代表作「二十四の瞳」の生原稿、栄の愛用品、数々の初版本のほか詩人壺井繁治、作家黒島伝治の書簡や色紙などを展示している。木製の応接セットやイロリの部屋は、繁治・栄夫妻が住んでいた白鷲(東京)の家から、そのまま文学館に移し再現した。ビデオ「壺井栄文学のこころ」(13分・常時上映)も備えている。
 

三人の作家

小豆島から、作家の壺井栄と黒島伝治、詩人の壺井繁治三人の文学者が生まれた。こういう現象は全国的にも珍しい。三人とも、苦しい生活の中から自らの文学を築き上げ、日本の文学史に力強い足跡を残した。中でも、栄の活躍はめざましく、代表作「二十四の瞳」は“小豆島ブーム”を呼んだほど、全国から注目された。繁治も、激しい弾圧の嵐の中で詩を書きつづけ、「壺井繁治全詩集」など、日本の近代詩に残した業績は大きい。伝治も「二銭銅貨」をはじめ、プロレタリア文学の旗手として名作を次々と発表、永遠の文学として評価されている。
小説「二十四の瞳」の生原稿と初版本(昭和27年12月25日発行)
小説「二十四の瞳」の生原稿と初版本
(昭和27年12月25日発行)

壺井栄の生い立ち

壺井 栄の略歴

明治32年   1899 香川県小豆郡坂手村(小豆島町坂手)岩井藤吉・アサの五女として生まれる。
明治44年 12歳 1911 坂手尋常小学校卒業。1等賞を受ける。
      内海高等小学校へ入学父が親類の借金の証判をしたため破産。
      借家住まいとなる。
大正2年 14歳 1913 内海高等小学校卒業。
大正3年 15歳
1914 村の郵便局へ勤める。月給は2円。
      そのころ、窓口に来た一つ年上の黒島伝治を知る。
大正11年 23歳 1922 郵便局をやめ、村役場に勤める。
大正14年 26歳 1925 上京。壷井繁治と結婚。東京府豊多摩郡世田谷町に住む。
      その年、同町太子堂の借家に移った。
      隣に林芙美子、近くに平林たい子が住んでいた。
昭和12年 38歳 1937 宮本百合子の力添えで「大根の葉」が
      「文芸春秋」に載る事になっていたが実現せず、翌年「文芸」に載る。
      昭和2年〜9年にかけ、繁治は思想犯で入出獄を繰り返す。
昭和15年 41歳 1940 「暦」「赤いステッキ」を発表。
昭和16年
42歳
1941 「暦」で第4回新潮文芸賞を受ける。最初の随筆集「私の雑記帳」を刊行
昭和22年
48歳
1947
「浜辺の四季」「妻の座」を発表。
昭和27年
53歳
1952 「二十四の瞳」を雑誌「ニューエイジ」に発表。
      「坂道」「母のない子と子のない母と」で芸術選奨文部大臣賞を受ける。
昭和30年
56歳
1955
「雑居家族」を発表。「風」で第7回女流文学者賞を受ける。
昭和36年
62歳
1961
NHK芸術劇場(ラジオ)の「高窓のある部屋」が好評。アンコール放送となる。
昭和42年
67歳
1967 病床の栄に内海町名誉町民の称号が与えられる。
      6月23日。喘息発作で死去。「みんな仲よく」が最後の言葉だった。
昭和45年
  1970
小豆島町坂手・向いが丘に文学碑が建つ。
平成4年   1992 壷井栄文学館オープン。
 

壺井 繁治 (つぼい しげじ)

1897(明治30年)〜1975(昭和50年)。詩人。小豆郡苗羽村大字堀越(小豆島町掘越)壺井増十郎・トワの四男として生まれる。早稲田大学英文科中退。1922(大正11年)個人雑誌「出発」創刊。1925年(大正14年)同郷の岩井栄と結婚。「詩人会議」運営委員長。著書に「風船」「壺井繁治全詩集」などがある。掘越に詩碑。

黒島 伝治 (くろしま でんじ)

1898(明治31年)〜1943(昭和18年)。小豆郡苗羽村(小豆島町苗羽)生まれ。父兼吉はイワシ綱漁と農業を兼業。1919(大正8年)早稲田大学高等予科英文学科入科。徴兵。著書に「軍隊日記」「二銭銅貨」など。小豆島町苗羽の丘に「一粒の砂の千分の一の大きさは世界の大きさである」の文学碑がある。近くに晩年の家がある。
 
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