2021年08月03日

AV出演

 僕はラブシーンが苦手だ。7月22日からMBS他で放送が始まったドラマの撮影で、工藤阿須加くんと臼田あさ美さんが抱き合う場面を撮っていて、「カット!」と言うべきところ、「すいません!」と叫んでしまった。「俺何で謝ったんだろ!?」と思わず漏らすとみんな大爆笑になった。ラブシーンは見てるこちらの方が緊張してしまうし、仕事とはいえ良く知らない他人とあんなことやこんなことをしてもらうのは申し訳ない気持ちになってしまう。
工藤くんとは初めての仕事だった。さっぱりとした好青年で随分と現場を助けてもらった。その工藤くんに現場中に質問を受けた。
「橋口さんAVに出たことあるんですって?」
別に隠していたわけでもないので誰かが耳打ちしたのだろう。
そう、僕には『不純異性交遊』という後にシリーズ化された大ヒット主演作がある。1988年、僕が26歳の時である。

 時代は80年代。”新人類”〝浮遊感”なんていう言葉がもてはやされ、日本はバブルへ向かってひた走っていた。松田聖子のデビューが80年。それから次々とアイドルがデビューしていくアイドル全盛の時代。と同時に日本のアダルトビデオ業界も家庭用ビデオデッキの普及と共に大成長。1985年には、村西とおる監督が黒木香主演の作品で一大センセーションを起しAVの概念を変えた。’87年にはレンタルビデオ店が全国に2万件を突破。当時、VHSのパッケージ作品は2万円を超えていた時代の話だ。
当時の僕はというと、そんな浮かれた世相とは無関係に生きていた。大学を中退し、しばらくブラブラした後、大した当てもないのに上京し、風呂なし、便所共同、家賃2万8千円の北千住のボロアパートに居を構えたまでは良かったが、毎日アルバイトニュースを見ては悶々とする日々を送っていた。
そんな時、大学時代の友人から電話があった。
「AVの監督やってるんだけど出ない?。役者がいないんだよ。カラミはないから」
もちろん断った。奥手で全くの未体験の僕は、「AVなんかに出たら汚れてしまう」と本気で思っていた。
「取っ払いで一日2万。頼む!」
「2万・・・」
家賃2万8千円、バイト無し・・。結局、・・・金に負けた。そして「本当にカラミは無しね!」と確約を取って出演を承諾した。

 撮影当日、早朝6時に中目黒にあるメーカー事務所に行った。到着すると待ち構えた友人の監督からコピーされた台本を渡された。ソファに座って目を通していると「お早うございます」と女性が入ってきた。一瞥して読んでいると、「じゃいこうか!」と声。顔を上げると、もうカメラも照明も決まっていて、さっき入ってきた女の人の頭が僕の股間にあるではないか!。瞬間、「騙された~」と思ったがもう遅い。「よーい、スタート!」の監督の声。そのまま言われるままに撮影を続けた。
それが朝の6時。それから翌日の明け方の4時までぶっ通しの撮影だった。「AVってこんな大変なものなのか?」が正直な感想だった。
一応断っておくが、当時はモザイクも濃く、実際の行為がなくてもバレなかった時代なので疑似セックスがほとんど。その現場も同様だった。AV全盛時代なので、スタッフも現在のちょっとしたドラマぐらいいた。
撮影の詳細な苦労話は控えるが、ある女優さんと全裸で絡んでいた時。煌々とした照明の中、多くのスタッフに見られての撮影にも不思議と恥ずかしさは一切感じなかった。「汚れてしまう」と潔癖に思っていた人間だったのにだ。気のせいと言われるだろうが、カラミの最中、「パン!、パン!、パン!」とシャッターが自分の周りに閉まる音が確かに聞こえた。その時、「ああ、人間というものは、そうそう簡単に傷ついたり汚れたりしないメカニズムがあるんだな」と感じた。
その4年後、僕は『二十才の微熱』でデビューすることになるのだが、その内容は普通の大学生が売り専ホストをやってるという話。「風俗をやろうがAVやろうが人間は簡単に汚れない」という感覚をこのとき身をもって体験できたことは良かったと思う。

控室で太ももに入れ墨の入った女優さんと雑談したことはよく覚えている。
「あの、僕一日2万なんですけど、幾らぐらい貰われるんですか?」
「あたし、300万かな?」
「はぁ、何に使われるんですか?」
「あたし、氷室(京介)さんのファンなの。氷室さんが行くとこなら、世界中どこでも追っかけて付いて行ってんの」
「そうなんですね・・」
 AVで稼いで歌手の追っかけの為に注ぎ込む。そんな人生もあるのかぁと思っていたら、
「あんた芝居出来るよね。何で?」と聞かれた。
「あの、自主映画やってまして、自分で出たりしてるんで」と答えた。
「へぇ、だからなんだ。芝居出来るよね。芝居出来るよね」とものすごい上から目線で念押しされた。
「有難うございます!」とお礼をいい、取っ払いで2万円貰ってスタジオの外に出た。僕を騙した友人が見送りに出て来て、「騙してごめんね。怒らないでね」とでも言いた気にヘラヘラ笑っていた。確か門前仲町だったと思う。まだ暗い東京を歩きながら、「僕は、この都会(まち)でやっていけるのかなぁ?」とぼんやり考えていた。