2022年07月05日

鎌倉・川喜多映画記念館

 3月18日から6月12日まで約3か月にわたって鎌倉・川喜多映画記念館において企画展『追悼・山内静夫 松竹大船撮影所物語』が開催されました。また連動企画の「松竹映画100年の100選」において、自作『恋人たち』も松竹映画100選に選んでいただき、6月5日にはトークショウに呼んで頂いた。会場では松竹映画のポスター展と共に、映画人が選んだ「私の好きな松竹映画」として、映画『二十四の瞳』への私のコメントも展示して頂いた。
 鎌倉は、ビデオクリップの撮影で3回ほど訪れたことがあるが、すっかり様変わりしていて,驚いた。小町通りなんて原宿状態で、人気絶頂の瀬戸朝香さんを連れて由比ガ浜や土産物屋で普通にロケが出来ていた20年前とは隔世の感しきりだった。
会場の川喜多記念映画館は、その賑わいから一本わき道に入った素敵な邸宅が並ぶ一角にある。事前に『恋人たち」の上映の3回のうち2回は即完売で、しかもチケットはネット予約が出来ず会場販売のみなので、わざわざ東京から事前にチケットを購入しに来て、また当日来場して下さる方が多数いたと聞いて非常に感銘を受けた。過去作品で動画配信もしている中で本当に有難いことである。
そんな熱心な観客の方だから、トークにあたり既出の話以外のエピソードはないかと思案した。真っ先に頭に浮かんだのは京都で出来事だった。
 2009年、ある人間の策略に嵌り精神的にかなり疲弊していた時に京都のある映画館から『ハッシュ!』の上映とトークショウの依頼があった。とてもじゃないが遠出して、ましてや人前で話すのはきつい状態だったがお受けした。力は残っていないのに「まだ自分は頑張れる。まだ大丈夫」と何かにすがりつくような気持だったのかもしれない。
 当日、何の問題もなく元気にトークして、その後ロービーにてサイン会となった。そこで、ある女性が「本日は京都まで来て下さり有難うございました」と深々と頭を下げられた。後にも先にもあんなにきっちり挨拶をされたのは初めてというくらい。30代中頃だろうか。その方は、一見して大きくはないがそれと分かる障害がお顔にあった。身なりもきちんとされていて、僕は瞬間的に障害があることで誰かに見くびられたりバカにされたりしないように生きておられるのかなぁと察した。すると、映画の主人公の朝子のことを、「朝子はこういう風に生きて来て。でも人からはこう言われて。でもこう生きたいとおもって」とまるで自分の半生を語るかのようにとうとうと語られた。
僕は帰りの新幹線で泣いた。「もう、これでいい。金を盗まれようが、業界がクソだろうが。僕の映画を生きる支えにしてくれる人がいる。これをでいいんだ。これを信じてやっていけばいいんだ」と気持ちをくくり直した。
その日はダブルヘッダーで、池袋の文芸座で僕の映画のオールナイトの上映にも呼ばれていた。レンタル屋もある時代にオールナイトに来る観客などいないだろうと思っていたが、到着してみると八割ほど客席が埋まっているではないか。
「京都といい文芸座といい、今日はいい日になった」と、ロビーでのサイン会に応えていた。すると映画を観に来ていた知人の女性が、「橋口君、あれ何?。あたしメチャクチャ腹立つんだけど」と怒り心頭。ワケを聞くと、「橋口に仕事を頼んだけどやらない。えらい迷惑を被っている」とロビーで見ず知らずの観客に向けて吹聴して回ってる女がいるとのこと。僕はすぐに分かった。この女とは、金を盗んだ張本人の奥さんだ。当時、この女はトークなどの公の場に僕が出演するときは、必ず来ては僕の発言をチェックして旦那に報告していたと思われる。そして、時にはこのように、あることないこと僕の周辺に夫婦で吹聴していた。後に裁判の為に裏どりをしていて分かったことだが。素敵な日になったと思っていたのに、そんなことすら台無しにされるのかと虚しかった。
立ち上がっては膝を挫かれて、また立ち上がっては挫かれる。そんなやり場のない感情が『恋人たち』という映画のベースになっている。鎌倉まで何度も足を運んで観に来てくださった方が多くいたという話を聞いて、そのことが思い出され皆さんに話した。
そんな話をしてロビーに出ると、50代ぐらいの男性が『恋人たち』のDVDを手に待っておられた。見るとDVDのパッケージもかなり使いこんでいる。
栃木からわざわざ来られたというその方は、「もう死のうと思っていた時、『恋人たち』を観て救われました。劇場でどうしても観たくて今日来ました。私が死ぬときは棺桶にこのDVD持っていきます」とおっしゃるので、「そんな縁起でもない。お互い頑張りましょう」とDVDにサインをした。
そういえば、この方はトークの最中も何度も何度も大きく頷いていたなぁと。僕の映画を支えにして下さっている観客、そして、その観客に僕も支えられているという話をしていたら、最後にまたかけがえのないお土産を頂いた。
 先日、東京は日本橋の高速道路の高架線が再開発に伴い撤去されるというので行ってきた。『恋人たち』のラスト、篠原篤がビルの隙間の四角い青空を見て「よし!」と呟いたロケ地である。名残りを惜しんでか多くの人たちが写真を撮っていた。「よし!」ってここで撮ったなぁとしばし感傷に浸ってしまった。

企画展「追悼・山内静夫 松竹大船撮影所物語」閉幕しました | 鎌倉市川喜多映画記念館 (kamakura-kawakita.org)