お電話でのお問い合わせは 0879-82-2455受付時間 AM 9:00 ~ PM 5:00

CLOSE
ENGLISH 繁體中文 한국어 Français ภาษาไทย
フォトギャラリー

『ぐるりのこと。』4kリマスターリバイバル公開2026年07月01日

 作品を作る前は、小説も映画も一切見ないようにしている。何がしかの影響を受けるからだが、脚本を書き終え準備が進んで目途が立ってくると、映画を一本観ることにしている。それを参考にしようという話ではなく、これから作る映画の進む方向というか、心構えのようなものを確認するのが一つの儀式となっている。

 『ハッシュ!』の時は、ヒチコックの『裏窓』を。そして、『ぐるりのこと。』では、撮黒澤明監督の『天国と地獄』を観た。
内容はご存知の通りだが、三船敏郎演じる主人公が、我が子の身代わりに誘拐された運転手の子供の身代金を払い破産していく。最初は「成金」と露骨に嫌悪を示していた刑事たちが、その主人公の姿を見ていくうちに共感していく。子供が無事に帰ってくると、「この後は、俺たちが犬になって犯人を捕まえるんだ!」と仲代達也扮する刑事が叫び、佐藤勝さんの音楽が高らかに響く。胸が締め付けられカタルシスを感じる瞬間である。
ここで感じる人間に対する圧倒的な信頼と共感。

 『ぐるり~』は、主人公が子供の死をきっかけに気持ちを病んでいく。それと並行して90年代を代表する大きな事件の裁判が描かれる。このように重く感じられる内容を果たして観客が受け入れてくれるだろうか?と気がかりだった
しかし、『天国と地獄』にあるように、作り手が描こうとする世界、そして人間に対する信頼があれば、どんな物語を描こうが観客は受け入れてくれると腹が決まった。
余談だが、ある時、黒澤組で『羅生門』からスクリプターとして制作に参加してこられた野上照代さんにお会いした折、そのことをお話した。
野上さんは懐かしそうに、「そうねぇ、黒澤さんも人間が好きだったわねぇ」としみじみとおっしゃっていたのが印象的だった。

 もう一つ、撮影前に僕にとっては大きな出来事があった。
 リリーさんが配役に決まり、後は肝心の主演女優。紆余曲折を経て木村多江さんに打診。木村さんは二つ返事で受けてくれたのは良かったが、倉本聰さんのドラマで半年間全スケジュールが抑えられている。それが9月。つまり来年の3月以降でないと撮影が出来ないことになる。予定としては年内に撮影を終えるようリリーさんのスケジュールも11月、12月を抑えていた。
木村さんに合わせてリリーさんのスケジュールを一旦ばらして、来年の4、5、6月を抑え直すことになる。
その時のリリーさんは、『東京タワー』が大ベストセラーになり一躍時の人であった。そのリリーさんのスケジュールをもう一回抑え直すことは、僕には不可能のように思えた。
そうは言っても、とにかく現状を話してお願いするしかない。僕は単身リリーさんの事務所へ向かった。

 かくかくしかじか、事情を説明すると、リリーさんの隣りに立っていた若いマネージャーが、システム手帳を捲りながら、「ああ、その頃リリーはロンドンだな、だめだなぁ」とドライに言い放つ。僕は一瞬目の前が真っ暗になった。
すると、「スケジュールとかどうでもいいよ」とリリーさんが制した。
そして、真顔でこう続けた。
「僕の望みは、橋口さんが楽しく撮ってくれることが望みだから、橋口さんはスケジュールの事とか気にしなくていいよ」と言った。
僕は、「ああ、この男逃げないんだな」と思った。
繰り返すが、その時のリリ―さんは時の人。大手と違い僕の映画は多くても全国100館くらいの単館系の映画。ギャラだって知れたもの。そんな映画の出演と今のステイタスを天秤にかければ断られても可笑しくない。
「来年の予定はまだ分からないから、近くになったらまた相談しましょう」とか、いくらでも理由は言える。
しかし、逃げなかった。
次の瞬間、「あ、これが翔子なんだ!」と、僕自身がまるで翔子という人物と一体になったような感覚を覚えた。

 翔子という主人公は、僕が鬱になった経験を投影はしているが、完全に創作した人物だ。この女性は、学生時代からくっついたり離れたりを繰り返してきた男と30歳を前に結婚を決める。男の方は、女にだらしない、金にもルーズ、定職にも付いていない。周囲には、「あんな男やめなよ」と繰り返し忠告を受けている。にも拘わらず、「私がしっかりしてれば大丈夫」と結婚を決める。そういう設定で物語は始まる。
しかし、そもそもこの翔子は何故この男を選んだのか?。
この人物の奥にある本当のところ。作者であるにも関わらず、人物の本質に触れるところまで考えが及んでいなかった。
この翔子の胸の奥には、「この先、私の身の上に何があるか分からないけど、この男は絶対に私を見捨てない」という確信があって男との結婚を決心したのだ。
その事を、僕は演者であるリリー・フランキーを前にして初めて分かったのである。
翔子という女性の根っこを掴み、「これで翔子を描ける」と勇気を得た瞬間でもあった。

このネット連載が本になりました

>> 本の購入はこちらから

バックナンバーBACK NUMBER

お電話でのお問い合わせは 0879-82-2455受付時間 AM 9:00 ~ PM 5:00

料金表はこちら

お得に楽しむ スマートフォン用
クーポンはこちら