2018年1月5日

東京番外地(百六)

 へ!?オレにもまだ運が残ってたわいと。もっとも私は運だけは強い!? 芸の道がまだ残って、フッと三木のり平師の顔が浮かんだ、よし、俺はコメディアンになりたかったんだよ、植木等だよ、のり平だよと。勝手気ままに思い込んだワケであります。で晴れて有楽町ミュージックホールのコメディアンとしてデビューすることに相成りました。すると件の友達もいて、何とこの役者とチームを組む事になった。つまりコンビ誕生である。相手はベテラン、私はヒヨ子。文芸部の脚本で演じていく訳である、裸の姐サン達の合間のコント。いやあ鍛えられましたなあ。女の裸の殿堂ミュージックホール!古くは、トニー谷師、EHエリック氏、岡田真澄氏、空飛小助師、等々。一流のエンターテイナーを生んだホール。一所懸命でしたな。一公演が二ヶ月間、客席は、医者、弁護師、画家、作家等の所謂文化人サン達が多く、いやはや素敵な場所でしたよ。この頃、確かディズニーランドが出来て多くのコメディアン、役者、歌手等が、働きに応募した。ミュージックホールのコメディアン達も何人かディズニーランドに去っていった。何しろギャラが良い、厚生が良い、そりゃ皆憧れるわな。しかし、私はこのホールで充分で、むしろ残れることにスゴイ誇りを感じていて、喜々として日々舞台に立っていた。そんな塩梅で一年程やって、次のコメディアンに替えられる頃、ヒマを貰って又無職に、又又暇でヒマで仕様がない毎日がきた。

石倉三郎