2009年9月1日

小豆島で生まれて。(六)

家に帰って子分集めて、カン蹴りか何かしていると
隣のクラスの先生が通りかかり、
「三郎君、あんた面白いね〜、こんな面白い子やと思わなんだわあ。
もっと早よから知っとったらなあ」
誉められた! 生まれて初めて先生に誉められた。
へえ〜嬉しいモンやな、心が温もるなあ、
しかし隣のクラスの先生やし、それにもう卒業してしもたしなあ、
第一、もっと早から知っとったらなあて、どお云うこっちゃ?
ま、ええやないけ誉められたんやから。
コレが妙な自信になって、中学へ入学して、
声も大きくでるし、女の子にも割と普通に話もできるようになった。
もっとも月に一度学校の納金日の日は一緒だったけどネ。ケッ。

小豆島町田浦トミタ屋


中学に入ると、とにかく我々1年生のクラスは
50人1組で8クラス、400人強の生徒数。
内海中学と云って、内海町(現在は小豆島町)の
小学校卒業生が、あっちこっちから来る。
二十四の瞳で有名な、田浦半島からも自転車に乗ってエッチラオッチラやってくる。
小学校では2クラスだったのが、
さすが内中(島では内海中学校の事をこう呼ぶ)だ。

石倉三郎