2017年6月1日

東京番外地(九九)

 飲んでなけりゃあ菩薩のようなお母ん。飲むとまるきり訳が分からなくなるお母ん。今だにその両方想い出しますなあ。どんな人生だったのかねえ。親父はスッカリ元気がなくなり、それでも姉がまだ一人身だったので、良かったと云うのか。まあ、丸きり淋しくはないだろうと。まあ、正直者を絵に描いたような⇔少しだけデリカシーに欠けるが、コノ姉のお蔭で他の兄弟達は大いに助かる。しかし、コノ姉も、よくよくの貧乏クジを引き当てる。私めが小学六年生位より、母親も大阪へ出稼ぎへ、後に残った次兄と私の面倒を中学二年生の姉がメシ炊き、洗濯等学校から帰ると懸命に頑張っていた。長兄はその頃は世帯を持っていたので他所の町で暮らしていた。高校生の次兄は青春というやつを謳歌していて、家になどたまにしか帰ってこない。仲が良い友達の家で居候のようなことをしていたな。まあとにかく、淋しいモンでした。やっぱりスネますわなあ。決局私めが中学一年迄小豆島に居て二年からは大阪へ兄、姉、私との三人で父母の元へ行くことになり、まあホット一息という塩梅だった。まあしかし落ち着きのない家ですわ全く。
 美空ひばり公演も小生としては、まあ何事もなく無事初日を迎えられ実にホットしましたな。オフクロを無くした淋しさも一応芝居の中へ入り込んで、芝居がハネると仲間と一杯!この月はバイトもほとんど行ってない。それでもギャラは普段よりもいくらか良いので、何とか仕送りだけは間に合った。

石倉三郎