2011年5月1日

大阪時代(二六)

つまり、コノ時の興奮、何ンか初めて、生きてて良かった。地獄に仏・馬鹿にも仏、etc。とにかく胸の中、腹の内は煮えたぎっていて、多分ボーっとしてたのかなあ。
すると副社長、「まあ、二・三日中に返事くれたらええからな。兄貴とも相談してな!」という塩梅で。さあ、家に帰ってから珍しく素面の母親と親父に顛末を。

「ゴドーを待ちながら/新国立劇場楽屋」


勿の論の事、二人供々大喜び。実は帰る道々、色々散々に考えあぐねた末に我に我が出した結論!ヨシ、一発やってやる!!役者に成ってやる!!何故ならば、あれ程の大人が、俺に対して「君は面白いし、根性も持ってるし、やれるよと。」
初めて世間に出てから認められた。それも小さいなれど一企業のお偉いさんに。コレはもう、俺個人としては、ヤラなきゃ本当に馬鹿ヨ!すぐに明日辞表出して、東京迄の汽車賃とか生活費、アパート代etcを稼ぐ為にバイトを何軒かやればいいかな。なんぞと熱くなる一方、後は次兄に、さあどう切り出せばいいか、恐ろしい相手である。しかしどう恐ろしかろうが、今回はヤル、絶対ヤル。なあに、何処にいようがオカンに仕送りは絶対する。何があっても必ずする、と云う錦の御旗があれば。

石倉三郎