2017年3月1日

東京番外地(九六)

 エーイ、仕様がネーヨ!てんで兄に電話。すると「すぐ来い、タクシーで来い!分ったな!」!?タ、タクシー!! おい兄キ、お前東京から大阪迄、何ぼかかると思てんねん……しかし、そうか電車はもう無いし、しかし、タクシーとは。ここのあたりの私めの小ささ、実に情けない! すると店のマネージャーが、「オイ、サブ!夜行列車で行け!まだ全然、間に合うから。」成程!夜行だと八・九時間で大阪に着く。ヨシ!満員列車の通路に新聞広げて、寝て行った。朝八時過ぎに家に着くと、姉は泣いている。長兄も。しかし、次は俺の顔見るなり、「お前、何しとんネン!今頃来て!間に合うかい!」まあ、無理だとは思ってたけれどやっぱり…か。朝、親父を送り出す時いつもなら親父が一度ふりむく時迄立って見てるのに、この日はサッサと玄関に消えたと。後々迄、親父の語り草だった。 親父を送り出した後、倒れたらしい。脳溢血だった。 五月の事で、親父の好きだった空豆を鍋一杯作って、コノ空豆、もう糸を引いて、つまり、腐りかかってるのに。鍋一杯分、親父は日にちをかけて喰ったそうである。あんだけドツキ上げた女房なのに。やはり好いてはいたのかな。

身内の葬式の日は必ず「モメ事」が起きると誰かに聞いたけど、ご多分にもれず次兄と私がモメた。例によってあの少しデリカシーにかける姉が、勿論、何げなく、「お母チャン、死ぬ迄次兄の事云ってたわ。やっぱり一番可愛く、頼りにもしてたんやなあ……」

石倉三郎