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木下惠介 その12013年7月1日

 学生時代、自主映画仲間の間で木下惠介の名前が話題に上がることはなかった。当時は、黒澤明、今村昌平、大島渚、溝口健二を語ることの方が格好が良かった。更に言うなら男らしかった。木下惠介には、『軟弱』『女々しい』、そんな不当な偏見があったように思う。
高校の頃、『衝動殺人 息子よ』(79年)という木下監督、晩年の傑作を学校をさぼって観に行った。丁度、両親が離婚したばかりで、どこか自分が抱えている感情に近い映画を選んで慰めを感じていたのだろう。難しい映画のテーマなどは分からない、ただ家族の映画というだけで観に行ったと思う。映画館で、嗚咽するように泣いた。その時の事を友人たちに話すと、口の立つ一人から死ぬほどバカにされた。 一人息子を通り魔に殺された両親が、被害者を救済する法律を制定するために奔走するのが映画のあらすじだが、その一人息子が仕事から帰宅して、夕食までの間、自室でハーモニカを吹いてくつろいでいる。その場面を、その友人は「今時ハーモニカ吹いている奴がいるか」とけなした。
当時、僕は『大草原の小さな家』という外国ドラマが好きで、オーバーオールのジーンズの胸ポケットにハーモニカを入れて歩いていたようなカントリーな奴だったので、「ハーモニカの何が悪い!」と思ったが、その場面を例に挙げ友人が何をいいたかったかと言うと、要は演出が古い、センスが古いということだ。
しかし、そんな言葉の裏には、被害者面して涙を売り物にしている。女々しいという偏見からくる嫌悪感があったように思う。
その頃は、例えば故・松田優作の役柄のイメージのようなアウトロー、犯罪者、暴力を題材とした映画がカッコイイ、そんな時代だったせいもあったろう。僕自身、そんな空気に反論できないまま、つい最近まで木下作品を再見することなく過ごして来てしまった。
戦後、木下監督の映画は日本国民から絶大な支持を得た。多くの国民が貧しく、傷ついていた。作品の登場人物は自分たちの姿であり、彼らの喜び悲しみはそのまま自分たちの慰めとなったろう。 しかし、高度成長期からバブルへとひた走る中で、木下映画に登場する市井の弱き人々の姿というものは急速に顧みられなくなっていった。勝ち組、負け組、ノリが大事、明るいことは正しい、暗いことは悪。
そんな流れに着いて行けず、違和感を感じながら自分の拠り所を探していた人も確実にいたはずである。
木下惠介生誕100年の行事に関連して、新たに木下映画に初めて触れた方もいるだろう。国内外で様々に理不尽な出来事が多い今、木下監督の作品が再び多くの方たちに見られ注目を集めているという。木下作品には何があるのだろう?。

『二十四の瞳』(′54)という映画がある。瀬戸内海の小豆島を舞台に、戦中戦後を通して、高峰秀子演じる女教師と生徒の子どもたちの繋がりを描いた日本映画の名作中の名作であり、当時の評価は黒澤明の『七人の侍』より上であった。
 その中に、肺病で死んでいく少女が登場する。その少女は、勉強がよく出来た。女教師の大石先生は中学への進学を勧めるが、家が貧しいので大阪に奉公に出るという。「家族のために自分は働きたい」そんな健気な夢を語っていた少女。しかし、間もなく少女は胸を病んで島に帰されてくる。当時、結核は不治の病で、人に伝染した。だから、少女は、家族にも疎まれてたった一人であばら家に寝かされている。そこに、大石先生がお見舞いに来る。
少女は、「先生、あたし苦労しました」と言う。先生は、ほとんどオウム返しのように「そうね、苦労したでしょうね」と答える。その瞬間、少女は堰を切ったように先生に自分の思いをぶちまける。家族のために働きに働いて病気になって帰ってきたのに、その家族からは見捨てられ、たった一人で死ぬのを待っているのだ。
〈次号へつづく〉

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