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大切な友人 その12014年2月1日

 何年も会っていなくても、昨日別れたばかりのような親密さで、スッと馴染んで話が出来る。そんな友達が何人いるだろうか?。
 昨年、そんな友人に8年ぶりに再会した。普通に会って、数年間の自分たちのことを報告しあう。嘘も、見栄も、打算もなく、ありのままに受け取って、頷き、笑う。
わずか数時間だが、会っていない数年間を埋めるに十分な時間の太さ。
友人の名前は、一山(いっさん)。ニックネームというか、由来は分からないが、彼が気に入って使っている名前だ。
 93’の夏、僕はNYにいた。その前年、『二十才の微熱』が、NYゲイ&レズビアン映画祭に招待された折、ボランティアとして映画祭を手伝っていた一山の部屋に泊めてもらったことが縁で始まった関係だった。
 その頃の僕は、新宿2丁目にも行ったことがなく、まして男性経験すらない。80年代に何が起こって、ゲイの人々が、どんな試練を乗り越えてきたかなんてまるで知らない、無知な日本の青年だった。そんな僕が、初めてNYのゲイカルチャーの中心、イーストヴィレッジに放り出された。カルチャーショックとはああいうことだろう。見るもの、聞くもの全てが新鮮で、呼吸をするたびに、知らなかった自分の感覚が呼びさまされていく様な気がした。その手助けを親身にやいてくれたのが一山で、彼もまたゲイだった。
その頃、彼は、20年来の付き合いであり、元パートナーでエイズのレイモンドの面倒も見ていた。
そして、その翌年、NYで4年に一度開かれるゲイゲームス(ゲイのオリンピック)の取材をするために再びNYを訪れることになった僕は、一山の誘いもあって、再び自宅に泊めてもらうことになったという次第。
 NYに着いてみて、何故、一山が僕に「家においでよ」と誘ったのかが分かった。去年は元気だったレイモンドが、亡くなっていたのだった。一山は、その空白に耐えられなかったのだろう。
故人の思い出を整理し、故人の死を受け入れることを喪の仕事というが、その夏、僕は一山の喪の仕事に付き合うことになる。
 亡くなったレイモンドは、イタリア系アメリカ人でカソリック。父は、頑固者で、ゲイで、エイズで、東洋人と付き合っているレイモンドを決して許さなかったという。レイモンドも、そんな父を嫌っていた。
レイモンドの最後の様子を、一山は噛みしめるように語ってくれた。彼の最後は、脳の癌に冒されて、体中の水分という水分が無くなり、まるでミイラのようだったと。そこへ、今まで見舞いにも来なかった父親が来て、男泣きに泣きだしたのだという。レイモンドが、目で、「追い返してくれ」と一山に懇願するので、父親を何とか送り出すと、一人になった病室でレイモンドは大粒の涙をボロボロ流していた。
「汗も出ない、オシッコも出ない。体中の水分が無くなっているのに、あの涙はどこからくるんだろうね」と一山は呟いた。
父親を憎んでいて、そして愛してもいる。生物学的には水分などあるはずもないのに、涙を作り出してしまう人間の心の力。
人とは、何と複雑で、もろく、そして強いのだろう。この時、僕は、人間て美しいなと素直に思えた。
〈次号へつづく〉

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